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14話 王都への道、そして玉座の影

last update publish date: 2026-08-10 18:00:04

 王都ヴァルテへの道は、思っていたより遠く、そして近かった。

 物理的な距離としては、馬車で二日。宿場町で一泊し、翌日の夕方には城壁が見えるという。だがエリナにとって、その道のりは単なる移動以上の意味を持っていた。

 父が仕え、夢を見て、そして失脚した場所へ向かう道。

 クロヴェル侯爵が権勢を振るう宮廷のある場所。

 国王がいる場所。

 七歳の体には少し大きすぎる荷物のような気もしたが、それでも足取りは軽かった。

 出発の朝、ルシェムの空は快晴だった。

 長屋の前に、ハンスが用意した頑丈な荷馬車が停まっている。屋根付きで、座席が二列。荷台の一部にはサンプル品と最低限の荷物が積まれていた。

「本当に行くのね」

 セレーナが、少し潤んだ目でエリナのマントを直していた。

 薄い茶色のマントの留め具を留めながら、指がわずかに震えている。

「行ってくる。必ず戻る」

 エリナは短く答えた。言葉を増やすと、こちらまで揺らぎそうだったから。

 今回、王都へ行くのは四人だ。

 エリナ。  フィオナ。  ゴードン。  そしてレイン。

 マリオとルナはルシェムに残る。商会の現場を回し、出荷と採取を続ける。マリオは最後まで「俺も行く」と言っていたが、ゴードンに「留守を任せられるのはお前だけだ」と言われて渋々引き下がった。

 ルナはといえば、いつも通り無表情で、しかしエリナに薬草入りの小さな布袋を渡してきた。

「旅先で、風邪」

「ありがとう。飲み薬?」

「うん」

 それだけ言って、すぐに視線を落とした。猫が足元にすり寄っている。

「ルシェムのことは任せろよ」

 マリオが拳を突き出した。エリナはその拳に自分の拳を軽く合わせた。

「頼んだ」

「任しとけ」

 短いやり取りに、言葉以上のものが詰まっていた。

 馬車の御者台には、ゴードンが座った。

 意外にも彼は馬の扱いがうまかった。若い頃に地方を回っていたことがあるらしい。

 馬車の中、向かい合って座るのはエリナとフィオナ、そしてレインだ。

「なんか、妙な組み合わせね」

 馬車がルシェムを離れ、街道に出たところでフィオナが言った。

「どこが?」

「無適性の没落令嬢と、没落男爵家の毒舌令嬢と、平民上がりの天才魔法使い」

 フィオナが指を折る。

「そこに、冤罪会計士の御者付き。物語でも書けそう」

「書かれてるかも」

 エリナが返した。

「どこに?」

「どこかの誰かが」

 フィオナが笑い、レインが少し首を傾げた。

「何の話だ」

「気にしないで」

 フィオナが流す。

「で、レイン。王都までの道で何か気をつけることは?」

「治安は悪くない。ただ……」

 レインが少し考えるように視線を上げた。

「王都に近づくほど、監視の目は増える」

「監視?」

「魔法省と王宮の目だ」

 レインが淡々と言った。

「誰が出入りしているか。どの商会がどんな荷を運んでいるか。すべて記録される」

「アッシュフォード商会も、当然チェックされるわね」

 フィオナが頷く。

「名前だけで目を引くもの」

「名前、変えた方がよかった?」

 エリナが聞く。

「変えたら変えたで不自然よ」

 フィオナが即答した。

「今さら偽名を使っても、遅かれ早かれバレる。だったら堂々と使った方がいい」

「同意する」

 レインも頷いた。

「中途半端な隠し方は、かえって危険だ」

 エリナは窓の外を見た。

 道が続いている。遠くの地平線まで。

 父はこの道をどんな気持ちで通ったのだろう。

 そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ締め付けられた。

 でも、その隣には——

 今の私は、一人じゃない。

 その実感が確かにある。

 一日目は順調だった。

 途中の宿場町で馬を休め、簡素な宿に泊まった。ゴードンは帳簿を開き、フィオナは酒場でさりげなく情報を集め、レインは静かに部屋の隅で魔術書を読んでいた。

 エリナは、宿の窓から外を眺めていた。

 夜空は、ルシェムと同じように星が出ている。

 違うのは、自分のいる場所だけ。

 そう思うと、不思議な感覚だった。場所が変わっても、やることは同じ。情報を集め、整理し、次の一手を考える。それはルシェムの長屋でも、王都近くの宿でも、本質的には変わらない。

「眠れない?」

 背中から声がした。フィオナだった。

「少し」

「緊張?」

「してないと言ったら嘘になる」

「でしょうね」

 フィオナが窓際に来て、同じように外を見た。

「でも、あなたの緊張って普通の人とは違う気がする」

「どう違うの」

「怖いから足がすくむ、じゃなくて、怖さを観察して分類している感じ」フィオナが肩をすくめた。「『これは恐怖A、これは不安B』とか、頭の中でラベル貼ってそう」

「……してない」

「ちょっとはしてるでしょう?」

 図星を刺された気がして、エリナは少しだけ目を逸らした。

「あなたは?」と聞き返す。

「私?」

 フィオナが笑った。

「私はとっくに腹を括ってるわよ。クロヴェルって名前を聞いた時からね」

「復讐?」

「それもある。でもそれだけじゃない」

 フィオナが窓枠にもたれた。

「あなたがここまでやってきたのを見て、『これは面白い賭けになる』って思ったのよ」

「賭け?」

「そう。魔法貴族社会に、知識と商いで楔を打ち込めるかどうかの賭け。負けたら私たちは吹き飛ぶ。でも——」

「勝つ」

「そう。勝ったら、この国は少しだけマシになる」

 フィオナが横目でエリナを見た。

 「あなたのお父さんが見たかった景色に、ちょっとは近づけるかもしれない」

 エリナは答えなかった。

 代わりに、窓の外の星をもう一度見た。

 賭け。

 合理主義者の自分は、本来は賭けを嫌うはずだ。確率の低い勝負は避ける方がリスクが少ない。

 でも、避けて通れない賭けもある。

 それが、今、自分が向かっているものなのだろう。

 二日目の午後、王都ヴァルテの城壁が見えてきた。

 遠くからでもわかるほど巨大な石の壁。高くそびえ立つ塔。城壁の向こうに、さらに高く王城の塔が突き出ている。

 エリナは馬車の窓に手をついて、その光景を見た。

「……大きい」

 自分の声が少し震えているのがわかった。

 フィオナが隣で笑った。

「最初は誰でもそう言うわよ。私も最初は圧倒されたもの」

「今は?」

「今は、『壊すにはどこが脆いか』しか考えない」

「物騒」

「比喩よ、比喩」

 フィオナが肩をすくめた。

 「でも、あながち間違いでもない。どんな大きな城壁も、必ずどこかに綻びがある。あなたのお父さんは、それを見つけようとしてたんでしょうね」

 レインが窓の外を一瞥した。

「ヴァルテの城壁は、物理的な防御であると同時に、象徴だ。『この国は堅固である』というメッセージ。その象徴に、楔を打とうとしているお前たちは——」

「反逆者?」

 「改革者だろう」レインが淡々と訂正した。「少なくとも、陛下はそう見ている」

 エリナは、城壁から目を離した。

 国王。

 まだ会ったことのない人物。その人の目に、自分がどう映るのか。

 それを考えると、少しだけ指先が汗ばむのを感じた。

 王都の門の前には、長い列ができていた。

 荷馬車、旅人、商人、貴族の馬車。身分によって列の位置が違う。貴族の馬車は優先レーンを通り、一般の商人や平民は列を作って順番を待つ。

 ゴードンが書類を確認しながら、エリナに言った。

「アッシュフォード商会としての登録証と、王宮からの呼び出し状。これがあれば、入門検査は簡略化されるはずです」

「私たちが呼ばれてるって、門番は知ってる?」

「書状にはその旨が書かれてます。問題は——」

「問題は?」

「門番たちがそれをどこまで理解しているか、ですね」

 ゴードンが苦笑した。

「上からの通達が現場に伝わる速度は、どこの世界でもあまり変わらない」

「最悪の場合は?」

「少し言い争いになるかもしれません」

「その時は、私が出る」

 フィオナが前に出た。

「口喧嘩なら任せて」

「頼もしい」

 エリナが言った。

 御者台のゴードンが笑った。

 列は思ったより早く進んだ。

 門の間近まで来ると、鎧姿の兵士と、簡素なローブを着た書記官が待っていた。書記官の腰には、魔法省の紋章がついた小さなプレートが下がっている。初級魔法師だろう。

「身分と目的を」

 書記官が事務的な声で言った。

「アッシュフォード商会です」

 ゴードンが答えた。

 「こちらが代表者のゴードン・ハース。そして——」

 エリナが前に出て、一歩進んだ。

「実務責任者、エリナ・アッシュフォードです」

 書記官の目が、一瞬だけ大きく開いた。

「アッシュフォード……侯爵家の?」

「元侯爵家の娘です」

 書記官が慌てて手元の書類をめくった。ゴードンが冷静に、王宮からの呼び出し状を差し出す。

「本日、国王陛下への謁見のために参上しました。書状をご確認ください」

 書記官が封蝋を確かめ、内容を読み、そして顔色を変えた。

「こ、これは……!」

 兵士たちがざわめいた。「王宮からの直々の呼び出しだと?」「この子どもが?」

 フィオナが横目でそれを見て、小さく笑った。

「目立つわね、やっぱり」

「目立つでしょうね」

 エリナが小さく息を吐いた。

 「でも、今さら引き返せない」

 書記官が慌てて姿勢を正した。

「失礼しました。アッシュフォード商会一行、入門を許可します! 王宮への案内役を手配しますので、門の内側でお待ちください!」

 兵士たちが道を開けた。馬車が城門をくぐる。

 石造りの巨大なアーチを通り抜けた瞬間、エリナは無意識に息を詰めた。

 これが、父が何度も通った門。

 そう思うと、喉の奥が熱くなる。

 でも、涙は出なかった。

 泣いている暇は、まだない。

 王都の中は、ルシェムやベルナとはまるで別世界だった。

 石畳の道が碁盤の目のように広がり、両側には二階建て、三階建ての店や屋敷が並ぶ。人の数が多い。商人、職人、貴族、兵士、魔法師。魔法の光を使った看板がところどころに浮かび、荷車や馬車が絶え間なく行き交っている。

 エリナは馬車の窓から、その光景を食い入るように見た。

「すごい……」

「圧倒されるわよね」

 フィオナが頷いた。

「でも、よく見て」

「何を?」

「石畳の継ぎ目。水路の位置。建物の高さのバランス。人の流れ」

 フィオナが指先で窓の外を示した。

「この街は、見かけほど合理的じゃない」

「……たしかに」

 エリナはすぐにそれを理解した。

 一部の通りにだけ人が集中し、別の通りは妙に空いている。排水溝の位置が悪く、雨が降ればすぐに水たまりができそうな箇所。建物の影が無駄に重なり、昼でも薄暗い路地。

「ここも、改善の余地だらけ」

「そういう顔してる」

 フィオナが笑った。

「どんな顔?」

「『直したい』って顔」

「直したい」

「やっぱり」

 レインが横から口を挟んだ。

「魔法で補っている部分が多いから、設計が甘くても回っているだけだ」

「それが問題」

 エリナが言った。

「魔法がなければ、すぐに破綻する構造」

「だからこそ、お前のような存在に陛下が興味を持った。魔法なしでも回る構造を作れるかどうか。——それを確かめたいはずだ」

 王宮へ続く坂道を登ると、空が近くなった気がした。

 白い石で築かれた高い塀。その向こうに、王城の塔がそびえ立つ。門の前には、王宮騎士団の兵士たちが整列していた。鎧は銀色に輝き、胸当てには王家の紋章が刻まれている。

 さっきの書記官とは違い、ここで待っていたのは、青いマントを羽織った一人の男だった。

 まだ若い。二十代半ばくらい。整った顔立ちに、柔らかな目。だがその眼差しの奥には、鋭い観察力が潜んでいる。

「お待ちしておりました。アッシュフォード商会の皆様ですね」

「はい」

 ゴードンが答えた。

 男はエリナに視線を向け、静かに一礼した。

「国王陛下の命により、ご案内を務めます。アルバ・ヴァルデリアと申します」

 その名前に、エリナは一瞬だけ目を見開いた。

「第二王子……?」

「肩書きはそうですが、今日はただの案内役です」

 アルバが微笑んだ。

 「どうぞ、緊張なさらずに」

 フィオナが小声で耳打ちした。

「緊張するなって言われて、緊張しない人間がどこにいるのよ」

「ここには一人いるかもしれない」

 レインがぼそりと言った。

「誰のこと?」

「……さあな」

 エリナはそのやり取りを半分だけ聞きながら、アルバを見ていた。

 王子という肩書きに似合わないほど柔らかい雰囲気。でも、その柔らかさに油断させられると危ない、と直感が告げていた。

 この人も、レインと同じ種類の目をしている。

 そう思った。

 何でもないように笑いながら、すべてをよく見ている目。

 アルバが歩き出した。エリナたちも、その後をついていく。

 王宮の中庭を抜け、大理石の階段を上り、豪奢な廊下を進む。

 壁には歴代国王の肖像画。天井には魔法で灯された光の装飾。床には分厚い絨毯が敷かれている。

 アルバが、歩きながら言った。

「陛下は、あなたのことをとても興味深く思っておられます」

「私の、こと?」

「ええ。魔法を持たないのに、魔法と同じかそれ以上の成果を出している少女。没落した侯爵家の娘でありながら、アッシュフォードの名を捨てない商会主」

 アルバが振り返った。

 「そして——父上の旧友の娘」

 エリナの心臓が、一瞬止まったような感覚になった。

「……父と、面識が?」

「ありますよ」

 アルバが微笑んだ。

 「子どもの頃、よく膝に乗せてもらいました。難しい話を、わかりやすく図にして見せてくれる人でした」

 エリナは言葉を失った。

 父が、王子を膝に。

 想像もしていなかった光景だ。

 フィオナが横目でエリナを見た。その視線には、「だから言ったでしょう」という色があった。

「父上は、アッシュフォード侯爵の案を高く評価していた」

 とアルバが続けた。

 「魔法に頼らない軍制、税制の見直し、魔法省の権限再編。もしあの案が通っていたら、この国は今とは違っていただろうと」

「でも、通らなかった」

「ええ」

 アルバが短く答えた。

 「その理由の一つが、これからあなたが対峙する相手です」

 クロヴェル。

 その名前を、アルバはあえて口に出さなかった。

 だが、エリナにはわかった。

「着きました」

 アルバが立ち止まった。

 目の前には、大きな扉がある。重厚な木製の扉に、金色の装飾が施されている。両側には王宮騎士が二人ずつ立っていた。

 ここが——

 玉座の間。

 父が、夢を語り、そして切り捨てられた場所。

 エリナの手に、うっすらと汗が滲んだ。

 アルバが振り返った。

「この先では、言葉一つが重くなります。ですが——」

 その目が、ほんの少しだけ柔らかくなった。

「あなたはきっと、大丈夫だと私は思っています」

「根拠は?」

 気づいたら、口が動いていた。

 アルバが少し意外そうに目を瞬いたが、すぐに笑った。

「ルシェムとベルナと学院で、あなたがやってきたこと。それを見れば十分です」

 フィオナが小さく笑った。

「王子様に太鼓判を押されたわね」

「太鼓判の意味が違う気がする」

 エリナが小声で返した。

 レインは、何も言わなかった。ただ、その目がいつもより少しだけ真剣だった。

「行こう」

 エリナは小さく息を吸って、扉を見た。

 逃げ道は、とっくに捨てている。

 お父さん。

 心の中で、短く呼びかける。

 ——見ていて。

 扉が、ゆっくりと開き始めた。

 光が、差し込んできた。

 七歳の没落令嬢が、父の夢の続きを求めて、玉座の影へと歩み出す瞬間だった。

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